地球は冬で寒くて暗い。

地球は冬で寒くて暗い。

たぶん成仏してほしいヘイトとか単なる思考の整理とか

#家出少女 に群がる大人達の闇

大阪の小6女児が誘拐・監禁され、栃木で保護された事件は記憶に新しいと共に、「(未成年者の)被害者の同意」「被害者の防犯意識の低さ」「一番悪いのは親」といったコメントが目立ったかと思います。

ではまず誘拐の定義から始め、問題を整理していきたいと思います。

目次は下記の通り。不要なところがあれば飛ばし読みしてください。

誘拐の定義

刑法では、20歳未満の未成年者の誘拐について、下記の通り定義しています。

第224条:未成年者を略取し、又は誘拐した者は、3月以上7年以下の懲役に処する。

用語の意味を補完しておくと、略取:暴行や脅迫を手段とするもの、誘拐:騙したり誘惑を手段としたものを指します。当然、本件では、被疑者は小6女児を誘拐したと判断可能と見受けられます。

「被害者の同意」の有無は論点か?

上述の刑法第224条にある通り、いくら未成年者の同意があったとしても、未成年者を誘惑している証拠が残っている以上、処罰されるべき案件です。そもそも未成年者の同意があったとしても、被疑者に出来たことは、児童相談所に案内することぐらいではないだろうか。同意があったとしても、誘拐・監禁した時点で被疑者:被害者=100:0で被疑者が悪である。

「被害者の防犯意識の低さ」は被害者に指摘すべきか?

これは事件が起きてしまった以上は「君も悪いよ」と指摘すべきではないと思います。なぜなら壮大なセカンドレイプになり得るからです。

防犯とは犯罪(被害)を未然に防ぐためのものであり、義務ではありません。財布を落としても窃盗した人間が0:100で悪いのと同じであって、言うべきタイミングがおかしいとしか言いようがない。

一番悪いのは本当に親なのか?

「子供は家で親が独自に育てるもの」という、言わば家制度は、世界的に見てもかなりマイノリティです。まあマイノリティなのは別によくって、単純に児童虐待や、家庭内ハラスメント・犯罪といった親権の濫用が後を絶たないようなデメリットだらけの制度を未だに暗黙の内に奨励しています。この制度の一番悪なのは、子供が様々な大人から多角的に見られることを阻むことで、「子供は親とは別個の人間である」という意識を喪失させやすい点かと思います。

上記が先進的な北欧と比較しても、まだまだ、0歳児・病児保育の拡充や、児童医療費無償化、育児休暇取得の奨励等、未成年に対する社会的養護の意識・施策の拡充が必要不可欠な状況かと思います。

本件において誰が一番悪いかというと、事件を起こした被疑者本人で間違いないかと思います。ですが、そこに至った経緯を作り出したのは、我々自身でもあり、虐待や誘拐等を誘発する歯車に大きく関与している意識を持つ必要がある事件かと思います。まずは自分自身に置き換えて寄り添うこと・共感すること、何が必要だったか考えること、出来そうなこと(選挙や署名等、大小関係なく何でも構いません)から始めること、それが社会が変わるきっかけになっていくと信じています。

今回の事件が、単なる不審者や不適切な躾を行う親といった至極具体的な問題ではなく、日本の社会構造の闇を浮き彫りにしていると気付く人が一人でも多いことを願うばかりです。