地球は冬で寒くて暗い。

地球は冬で寒くて暗い。

たぶん成仏してほしいヘイトとか単なる思考の整理とか

なんで勉強しなきゃいけないんだろうね

私は生来ひねくれた性質をしていて、指示されたことをその通り実行することにとにかく反感を覚えてしまい、なぜしなければならないのか・そのようにしなければならないのか…と色々訊かないと済まない人間でした。それはかなり先天的なものに近かったので、両親は私を「salmon_mogmogは万年反抗期だから仕方がない」と諦めてくたものの、両親それぞれの思想・性格・精神状態とそれによる互いの関係性によって、ほとんどネグレクトされて育ちました。小学校低学年までは祖母が母親代わりに成育・教育してくれ、また金銭的には豊かな家系でしたので、何とか自我形成を済ませることが出来、「実家にはなんか放置されてるけど、このまま放っておいてほしいな」くらいに思えたので、恵まれていたと思います。ただまあいくらネグレクトされていても、学生時代には両親が介入せざるを得ないイベントが何度かある。

そう、進学受験です。

中でも一番揉めたのが高校受験でした。中学生というと成人まで3/4といったところで、まだまだ両親にとってマウントを取れる位置にあったのもあると思いますし、≒で志望出来る大学までもが決まってしまう一大イベントなので、より躍起になっていたんじゃないかと思います(あとは大学受験時は母親の精神状態がより悪化していた)。

勉強は基本的に大嫌いで、毎日夜中まで友達と携帯メールやSkype通話をしているような子供でしたが、学生時代の資格や試験に向けた勉強は授業にさえ出ていれば割と出来る方だったので、基本的に両親は不介入のままやってこれていました。そして高校受験についても、地元の公立進学校への学力推薦が決まっていたため、途中まではその関係性が続行されていました。が、色々あって自暴自棄になり、進学校の次に最寄りの、ただし進学校からは偏差値を20近く落とした公立高校に行きたがり始めてから(理由:推薦落ちて一般受けるのがダルいから。あととりあえず近いから)、状況が一変し、教員と両親からの四面楚歌状態に陥ります。

結果的に言うと私は当初の意思通り、進学校の次に最寄りだった公立高校に進みます。それは彼らへの反抗心からと言うより、単純にその頃、偏差値の高い高校に行って勉強する意義とやらが分からず、自堕落な生活を取ったためです。

前置きが長くなりましたが、私は上述の選択を非常に後悔し続けています。あの時、その意義を教えてくれ、納得させてくれる教員が存在していたなら、また、自分一人でもその意義を発見出来るほど成熟していたなら、私は一般入試で公立進学校に進んでおり、人生を踏み外さなくて済んだと思います。

私自身の人生は取り戻せませんが、過去の自分という概念に向け、個人的な勉強する意義を綴っておきたいと思います(残念ながらMECE性は無保証)。

ちなみに、私の考える勉強と、類義語である学習の定義は下記の通りです。一般論では学習≒勉強とされていますが、本来的には学習⊃勉強と考えます。

勉強:学問に注力すること

学習:自身を取り囲む環境において起こる事物から広く学ぶこと

また、過去の自分のようなひねくれ者に勉強する意義を話したところで、あまり意義を見出してはくれなさそうなので、一旦学習ベースで6点説こうと思います。

大抵の問題は理論と論理思考を用いれば一瞬で片付く

私にとっての人生は一度目ですが、人間にとっての人生としてはn回目なわけです。要するに、大抵の問題は自分よりも遥かに優秀な人間達が、どのようにして解けばいいかの理論をすでに用意してくれている。人生が3,000年くらいあり、文化も技術も何も発展していかないのであれば、全てに対して初めて対応するゆるふわペースでいいわけですが、如何せんそうじゃない。解き方があるものは理論をベースに仮説検証して効率よく、そうじゃないことにじっくり時間をかけていかないと、一向に何も出来るようになる気配はない。が、逆に言えば、理論さえ知っていれば、例えば企業が事業において各プロセス毎にどのような価値を創出し、顧客に届けることで、競合他社に対しどのような差別化を図っているか等、ぐんぐん分かっちゃうわけです。そして言わずもがな、より高度な理論や、論理思考の培い方を教えてもらえるのは高度な人材・情報(知識・ノウハウ)の集まる高度な学校が殆どです。 

※「企業が事業において各プロセス毎にどのような価値を創出し~」:マイケル・ポーター(1985)『競争優位の戦略』にて掲載のバリュー・チェーン(価値連鎖)理論より。詳細は下記参照。

競争優位の戦略―いかに高業績を持続させるか

競争優位の戦略―いかに高業績を持続させるか

 

学歴は無条件に自身のスペックを保証してくれる

ある程度の学歴を有するためには、幅広い知識を有することや、それらを応用した問題解決能力、また、ゴールに到達するための効果的・効率的なルートの導出力と、自身のスペックを考慮した達成スケジュールの描出力、達成に向けて着実に実行する精神力等、が必要になると考えられます。逆に言えば、高学歴とは対外的に上述した要素を初対面の相手に勝手に保証してくれる証明書となります。具体的な活用先が就活です。現在でも学歴フィルターなんぞというものが裏では存在しますが、上述の通り効果的効率性が担保された策ですので、その際には大変有効です。私は学生時代に大人に混ざって事業に挑戦したりし、ESの記述内容も相当考え込みましたが、くそつまんないES書いてる高学歴に篩い落とされ、書類落ちすることが殆どでした。

選択肢が広がる

ぶっちゃけこれは子供向けによく言われるやつですが、個人的には学歴の有効性よりも、人生におけるより広義な選択肢として挙げました。例えば、人生の転機では、現在持つ知識の中からやりたいこと・やらなければいけないことの種(N)を見つけ出す必要がありますが、知識(Nになり得るn)≧Nとなっていなければ見つけようもありません。そのためにもより多くの情報に触れ、思考し、より広く深く理解していくことは、人生を豊かにするために大変有用です。

知識を有さなければ、現状を正確に認識出来ない

自分のレベルを数値で示してくれる進学受験からは少し逸れますが、そもそも勉強して知識を常に吸収していかなければ、物事を多面的な視野・視座で眺め、正確に状況を認識することは出来ません。認識出来ないものについては思考しようがなく、思考出来なければ何らかの改善に繋がらないので、一生そこに突っ立っているしかありません。知識がなければ、評価が環境に依存する物差しだと気付くことも出来ないため、おそらく自分は何がどの程度出来る何者なのかさえわからない(無知だとさえ気付けないのはこのため)。

ツールがあっても知識やスキルがないと使いこなせない(豚に真珠)

情報技術は日々発展してゆくため、自身に積極的に学ぶ姿勢がなければ、そもそも存在自体知ることが出来ない。存在しない相手と自身を対比させることは出来ないため、何が不足しているかもわからず、利便性の高いツールを与えられてもどうしようもない現実が待っている。逆もまた然りであり、敵を知り己を知れば百戦危うからず。

学ぶことをやめること=老害と化すこと

下記、おっさん(老害)の4大特徴もあるように、たとえ若年であろうが学ぶことをやめ、自らの固定観念を取り外せず、自尊心が巨大化していくと、老害(自己愛モンスター)と化し、滅びを待ちゆく(何なら促す)だけの生き物となります。

おっさんの4大特徴

  1. 古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する
  2. 過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない
  3. 階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る
  4. よそ者や異質なものに不寛容で、排他的 

学歴云々どころか、やがて人の皮を被った何かになり、そうなったことにも気が付けない惨めな人生を送る羽目になります。

過去の自分への回答

上述の通り、学習というのは「生涯学習」という名の通り生涯続けるべき事柄であって、高校受験が終わろうが死ぬまで終わらない。勉強であっても就職後もある程度は必要であるし、やっていればいるほど課題がイージーモードになりやすい。

ただまあ中学生で、理不尽や面倒を嫌う君には、上から3つ辺りの意義が響くのではないでしょうか。これから待ち構えるそれらをきっと少なくしてくれることでしょう。

…とか何とか色々と考えていたことを整理してみましたが、勿論、意に反して自堕落チルドレンになっている皆様は除きます。辛いよね、休もう。